第十五回全国伝統的工芸品仏壇仏具展を見て思う
「お店栄えて、先細る職人」

 伝統産業を守るために必要なことは何だろうか。
 売り手と作り手にそれぞれの意見があるだろう。しかし、この二十年という時間の流れでもっとも変化したのは売り手、すなわち販売店を取り巻く環境とその意識ではないだろうか。
 販売店は商品仕入れの選択肢が限りなく多様化した。かつては地元の仏壇を販売するだけの時代があったが、国内他産地の商品も仕入れるようになった。そして海外製品も扱う時代になっている。利益を上げることの出来る商品がともすれば「良い商品」になりがちな時代であり、伝産品は受難の時代である。
 では伝統工芸品を護るためにはなにが必要なのだろうか。
 まず第一にそれを仕入れる販売店の力であり、第二にその価値観を伝える販売店の力であり、第三にそれを販売する販売店の力である。そうした力がなければ、職人の技は先細りになってしまう。その力の低下が伝統産業の地位低下の原因であることは明らかだ。
 もちろん生活スタイルの変化や、価値観の変化、仏壇製造の海外化など業界を取り巻く環境の変化が販売店の意識を変えたともいえるのだが、伝産商品を守り伝えるためには販売店の努力がもっと必要なのではないだろうか。
 十月に鹿児島で行われた伝産展では青年部サミットが開催され、伝統産地としての現状と将来について各地方の産地のパネラーが報告と意見の開陳を行ったが、作り手の結論は「もっとお店に売って欲しい」の一言でほぼ括ることができるはずだ。国内他産地で製造された製品を売るぐらいならば、なぜ地元の製品をもっと積極的に販売してくれないのか。ましてやどうして海外で製造された仏壇を販売するのだろうか。どうして他産地で製造された仏壇をあたかも地元でできた仏壇のようにして販売するのだろうか。
 せっかく日本を代表する錚々たる仏壇販売店の方々も同席していたのだから、そうした意見もぶつけてみて欲しかった
 実際の販売現場では地元産地以外の製品も、海外製品も必要である。それらの商品なくして経営は全く成立しない。商売は利益を上げることが目的である以上、そうした市場の潮流から目を避けることがあってはならない。利益が上がらなくては伝統産業の保護も到底不可能ということになる。もちろん人も育つことがない。
 経済性七割、文化性三割という法則が出版業界にはある。どこかで儲けていないと、文化的な事業はできないという譬えである。仏壇店と伝統工芸品仏壇仏具の関係もこれに当てはめて見たい。 
 他産地製品や海外製品で儲ける。その儲けたお金で、地元の製品を継続的に買う。 
 仏壇販売店は「地元の製品は高くて売れない」と言うかもしれない。しかし、地元の製品、本当に良い製品を「売れる」「売れない」という価値観だけで判断して良いのだろうか。  
 売れる、売れないで判断し、この商品は売れるから仕入れる、この商品は売れそうにないから仕入れないでは、地元の仏壇文化は育たない。そうした観点しか持たなければ、結局は売れる商品が良い商品で、売れない商品は悪い商品ということになってしまう。
 伝統工芸品の価値観を伝えることは現代の日本社会の中では難しい。漆器や銘木の床柱に囲まれた生活を送っているのであれば、漆の意味や漆製品の良さも理解できるだろう。つい一昔前であれば、漆や銘木の良さが作る側、売る側、買う側の三者ともに理解されており、その共通理解を前提として製造と販売が行われていた。
 その共通理解が崩壊してしまったことが、伝統工芸品の存在基盤を揺るがしている。
 価値観を伝えるということで言えば、「仏壇が何故必要なのか。安い仏壇よりも、高い仏壇を買う意味がどこにあるのか」という価値をどのように伝えるのかということが実は最大の課題であり、この課題の回答を見つけることが、販売店にとっての最大の務めであろう。
 作り手はよりよい製品を作ることに専念することが最大の仕事となるが、販売店は仏壇の価値を伝えることが大きな仕事となる。
 伝統工芸品のような高額品になると、仏壇の役割、どうして伝統工芸品なのか、どうして高額なのかという価値観をお客様に納得していただけるように伝えなくてはならない。そうした作業が、伝統工芸品の将来を育てる基盤となることは言うまでもない。
 販売店にとっては多難な時代である。
 現状を言えば、販売店の数は過剰であり、常に価格競争に晒され、他社との販売合戦に明け暮れなくてはならない。余裕のない時代であり、そうした中で伝統工芸品を継続的に仕入れることは難しい。在庫で置くことは避けたいであろうし、売上にこだわるのであれば、売れ筋商品ばかりを展示する方向に傾斜してしまう。余程の信念と、情熱がなければ伝統工芸品を継続的に仕入れることは難しい。
 職人が直接お客様に売る、ということも実は伝統工芸品が生き残るひとつの道である。このように書くと、現在の流通を否定することになるが、商品に込められた思いや情熱が最も伝わるのは、作り手が買い手に直接販売する方法である。実際のところ、それが仏壇の製造販売という原点であるはずだ。
 そのように思うと、現在の仏壇販売店の多くは大きくなりすぎ、流通も複雑になりすぎているのかもしれない。名門店や老舗と言われる店で社長自らが実際に売場に立つ仏壇店がどれだけあるだろうか。
 また、伝産展を取材していていつも感じるのだが、どうして作り手の職人の名前が表示されないのだろうか。伝産展は一体誰のために開催されているのだろうか。職人を育てるという観点に立てば、木地は誰、錺は誰、蒔絵は誰、彫刻は誰、塗は誰といった表示がなされるべきではないだろうか。
 伝統工芸士の資格更新を辞退する職人も多いと聞くが、伝産展で受賞するのは結局お店で、お店の栄誉にしかならないという点も問題なのではないだろうか。
 丸抱えにしている職人であれば仕方がないのかもしれないが、大半の職人は独立自営業者のはずだ。伝産展を訪れた業界人が、その作品を気に入って蒔絵や木地、彫刻を頼んでみようと思っても、現在の状況では難しい。
 結局、情報不足の職人の仕事が先細りとなり、お店ばかりが大きくなったというのが現実だ。伝産の現在の状況を量産仏壇や海外仏壇の責任とするのは簡単であるが、実際に量産仏壇で大型化した仏壇店が多いことは言うまでもない。お店の語る職人の育成という言葉がきれい事にしか聞こえないこともある。
 職人も自産地ばかりに留まっていてはいけない。世界を広く持とうとする努力が必要だ。 (99/11)

仏壇評論家・住田孝太郎

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