| 「神の国発言」2000年8月
神の国発言でさんざん森首相が野党から苛められたが、宗教用具業界の皆さんは森首相の「日本国は天皇を中心とする神の国です」という発言を聞いてどのように感じたであろうか。
マスコミの報道を見て思ったのは、神棚の売れ行きに多少影響がでるだろうか、ということだ。
マスコミの論調は神の国発言に対して概ね否定的であり(その方が少なからず大衆受けすることが情けない)、そのことが神道ひいては宗教に対してのマスコミの恒常的な否定的態度を端的に現している。
ところで、森首相がどのように発言したのか、ここで再現してみたい。
「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴くということ、その思いで活動して三十年になったわけでございまして、比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます」。
この発言が行われたのは神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会。同会は昭和四十五年に結成されたもので、国旗・国歌法の制定や天皇陛下ご即位十年奉祝国民祭典の実施などに取り組んで来た。
さて、森首相は神の国日本だけを強調したのではない。以下に列記したことも述べているが、マスコミではほとんど取り上げられることがなかった。
「私は、人の命というものはお父さまお母さまから戴いたもの、もっと端的に言えば神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはならないんだ、ということが基本にないといけない」。
「しかしこの人間の体というものほど神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたというしかない。みんなでそう信じようじゃないか。天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい。宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっと教育現場で何故いわないのかな、信教の自由だから触れてはならんのかな。そうじゃない、信教の自由だから、どの信じる神も仏も大事にしようということを、学校でも社会でも家庭でも言うってことが、私はもっともっと、今の日本の国の精神論から言えば一番大事なことではないかと、こう思うんです」。
「神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いづれ石川県に行けばお仏壇にお参りするんだろうと思いますけど、お参りしようということを、小さな子供が、やっぱり、お祖父さんがやることによって覚えてくれる」。
以上の話しはマスコミではあまり報道されない言葉であったので、始めて知ったという業界人の方々も多いと思う。仏壇店、神仏壇店にとっては大変ありがたい森首相の言葉である。
◆
神棚をお祀りすることの意味は、遠い先祖、近い先祖をお祀りするだけに止まらない。
神道は自然を大切にしようとする感情であり、雲や海や川や山が神となり、我々の祖先はそのことを大切にしてきた。そうした意味で神道は宗教というよりもむしろ「感情」という言葉の方がぴったりくるような気がする。
日本の文化は現在でも西欧文化との相剋に悩み続けている。生活空間が変化したから伝統的な仏壇に代わって都市型の仏壇がよい、といった流れも明治以降ずっと日本が悩み続けてきたことだ。米食はパン食に比較して劣っているということも真剣に論じられたことさえあったと聞く。
宗教という枠組みも実はとても西欧的なものだ。宗教という言葉に囚われれば、何かを一生懸命に信じていないといけないという義務感のようなものが生まれる。キリスト教であればキリストが復活することを信じることが信仰に他ならない。現代の仏教で言えば、浄土真宗や創価学会の在り方がキリスト教的な信仰を持つ集団であろう。
ただし、大半の日本人は西欧的な宗教という概念からかけ離れたところで、神や仏と接している。瞬間神棚に手を合わせていたかと思うと、次の瞬間には仏壇に手を合わせている。それを宗教という言葉でとらえきるのは無理だろう。
ところがマスコミは宗教を固定的なものとして理解したがる。戦後、日本を占領統治したGHQや社会主義的な思想が、宗教を固定的なものとして喧伝したことにより、日本的な宗教の理解(無限に幅広い理解)は忘れられている。
森首相の「神の国日本」という言葉を聞いて反射的に思ったのは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が著した「神国日本」のことである。小泉八雲は神々の在ます国「出雲」で、些細な街の物音にも感激し、そこに神を感じた。うらやましい程の感受性だ。
神棚をお祀りすることは、雲や海や川や山の声に耳を傾けることでもある。お祀りし清々しい気持ちの中で小泉八雲のように街の物音にさえ瑞々しい驚きを覚えたいものだ。
そうした意味で森首相の「神の国日本」は意味のある発言であったと思う。 (00/8)
仏壇評論家・住田孝太郎
トップページ
|