中国の底力(2001年11月)

 結局はコストの問題なのだろうか。コスト高の世界で職人が生き抜くことは難しく、職人は作家あるいは芸術家となる。そんなことをこの秋、中国と東京の銀座で感じた。
 中国・福建省・甫田。省都福州から車で約二時間。日本向け、中国国内向けの彫刻の一大産地であり、日本向けの製品としては寺院用仏像、欄間彫刻、欅製寺院仏具などが大量に生産されている。
そんな場所で、女性美を見事に表現した彫刻に出会った。その彫刻工場で作られているのはもちろん量産型の彫刻。四階建ての工場の一階では、たくさんの職人が彫刻刀を手に仕事をする。中国ではどこでも見ることのできる風景だ。
 しかし、その工場の主である余國平氏の「作品展示場」に入ったとたんに、中国製品という固定観念を離れて、その作品の完成度の高さに目を奪われた。
黄楊で彫刻された四体の女性像。楊貴妃をはじめとする中国・四大美人。四体とも優美で艶やかな雰囲気を湛える。薄衣一枚下に隠された体。乳房の膨らみと乳首が薄衣の下で巧に表現されている。目と口許の表現が彫刻に人としての命を与えている。
 この作品は中国全体のコンクールへ出品されたもので、銀賞を獲得したという。この作品の他にも中国古代の女性をモチーフにした女性像が数体展示されていた。
実はこうしたモチーフの女性像は他の彫刻工場でも見ることができたもので、余氏の作品にどれだけのオリジナル性があるのかはわからない。もしかすると、昔からのこうしたパターンモチーフがあり、それをアレンジしただけのものかもしれない。
そうしたことを差し引いても、この四大美人像は素晴らしい出来映えの作品であった。
こんなことを京都の知人に話したところ「中国は日本の明治・大正時代の工芸と似たような時代を迎えているのかもしれない」という感想が返ってきた。
日本の幕末・明治・大正時代は、高度な工芸の時代の真っ只中にあった。金工、七宝、蒔絵など精緻な工芸品が職人の手によって製作され、その多くは欧米に輸出され、欧米のコレクターの目を楽しませた。
実はこの工芸の時代の底辺は、低賃金で働く徒弟によって支えられていた。今日のように週休二日、九時から五時まで、それ以降は残業手当てがつくといった制度とは対極をなす制度が徒弟制度だ。貧しい食事、朝六時から夜の十時、十二時までも働きつづけ、休みは盆と正月のみ。ひたすら親方の下で働き続ける、というのが徒弟制度だ。そこでは十代前半の若者が徹底的に技術を教え込まれる。
日本向けの仏像を製作する中国の多くの工房が、これと似たような制度の中で動いている。朝は本当に六時から電気がつき、日曜日に取材に行ってもちゃんと工場は稼動している。
業界の中には、中国の製品を一段も二段も下に見る方もいるようだが、日本はこの段階ですでに中国に圧倒されている。日本人らしい感性、繊細な表現力というが、そうした感性や繊細な表現力を支えるのは、しっかりとした技術だ。日本の美術系大学の学生の大半の作品は、こうした中国の職人が作り出す製品に比較すれば、稚拙なものだ(作品展を見に行けばそのことはよく理解できる)。それは基本的な技術が身に付いていないからに他ならない。
余氏は父親について十代の前半から各地を回りながら、廟建築の彫刻の仕事を叩き込まれていったという。つまり、基本的な技術のレベルが違うのだ。
我々はとんでもない競争相手と対峙しているということになる。
中国から帰国し、十一月の初旬に東京・銀座で江里康慧・佐代子二人展を見に行った。そこには素晴らしい仏像や肖像彫刻、そして截金作品が展示されていたが、気持ちの中に湧き上がってきたのは康慧氏が今年出版した本の中に描かれていた父・公平氏の若い頃の修行振りである。丁度、今の中国と似たような環境の中で、公平氏は仕事を覚えていった。
もちろん、現代の日本でそのようなことを望むのは無理だし、だから徒弟制度を復活させよとも言えない。ただ、仕事に対しての厳しさが失われて随分と久しいのではないだろうか。
翻ってみるに、現代の仏壇店の後継者はある意味で不幸だ。本当の工芸に接する機会はほとんど失われているし、伝票の価格と、製品の産地名だけで評価することに慣れ過ぎている。
前述の京都の知人はこのように言う「しょうもないものを、凄いといって感心する仏壇屋が多すぎますなぁ」。
中国の取材で、思いがけない作品との出会いで、身が震えるほどの驚きを覚えながら、以上のようなことを思った。 (01/11)

仏壇評論家・住田孝太郎

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