| 産地表示問題で顕わになった業界のコンプレックスと、崩れるアイデンティティ 全宗協が国産・海外産の統一表示事業を開始したが、全宗協に所属している仏壇店での実施率は果たしてどの程度のものであろうか? ともあれ、業界団体が産地表示に対しての基準と姿勢を示したという点では評価できる。食肉の偽産地表示が問題になったが、仮に仏壇業界で同様の問題が起こった時、業界団体としての基準を対外的に示すことができる。そのように考えると、実施率そのものよりも、基準を示したという点そのこと自体が重要であることが理解できる。 産地表示事業の目的のひとつは産地保護であり、もうひとつの目的は消費者に「国産品と海外産を区別して販売する」ということにある。 後者の消費者に対しての産地告知は、現在施行されている消費者保護法に照らし合わせてみても、必要なことであろう。仮にお客様から産地を聞かれときに、産地表示の基準を持つことで、トラブルを回避することができる。産地表示基準に照らし合わせて、国産でないものを国産品としてお客様に伝えることは避けた方が賢明だ。 業界の記者として駆け出しの頃、名古屋で作られた寺院仏具が京都新聞に包まれて出荷される現場を初めて見た時、軽いカルチャーショックを受けた。同様のレベルで北陸や名古屋では県外で製造された金仏壇があたかも地元製品として大量に販売されてきた。そして、現在では海外製品の多くが国産品として販売されている。 この業界の実態の裏に隠されている心理とは一体どのようなものなのであろうか? 現在、国産・海外産のことが業界の将来を左右する問題として表面化しているが、国産・海外産の問題と、京都新聞に包んで出荷すること、秋田や鹿児島で作られた製品を地元製品として販売する業界の心理は、同根のものとは言えないだろうか。 仏壇業界は明らかに国産品と海外製品の問題に関してのコンプレックスを抱えている。 コンプレックスとは心理学の定義では「色づけされた複雑な感情」のこと。劣等感も優越感もコンプレックス。なんとも言えない複雑な感情が劣等感にも優越感にもある。そしてコンプレックスと表裏の関係をなすのがアイデンティティ。少し難しい言い方だが、コンプレックスはアイデンティティの確立で解消される。 今回は国産仏壇、あるいは地元仏壇を販売するということが仏壇店にとってのアイデンティティに他ならない、ということを前提にして話をしてみたい。 アイデンティティという意味は「IDカード」という言葉で象徴されるように「自分が自分であることを証明すること」であり、心理学では「自己同一性」と翻訳されている。 本来自分が持つべき姿と、現在の自分の姿が一致している場合にはアイデンティティが確立されていると呼ぶ。もしくは、現在の自分の姿が理想とする姿ではなくとも、理想の姿がはっきりと認識されていればアイデンティティは確立されていることになる。 加えてアイデンティティは大半の場合、歴史によって裏付けられる。本来自分の姿がどうあるべきか、ということは数代遡る先祖が辿ってきた歴史、自分の人生の歴史、加えて自分の所属している会社や業界の歴史によっても規定される。つまり「自分の理想の姿がどうあるべきか」というアイデンティティは個人の中から勝手に生み出されるものではなく、自分と自分を取り巻く環境によっても作り出されるということだ。 仏壇店のアイデンティティは、日本における仏教の歴史と、その歴史によって生み出されてきた数々の仏像仏具そして仏壇によって支えられてきている。 ところが業界全体のアイデンティティは海外製品の大量流入によって崩れ始めている。ほんの十年前まではこれほどの海外製品が製造輸入されるとは、ほとんどの人が考えなかったはずだ。しかし、統計上、海外製品の方が多くなった今日、業界のアイデンティティそのものが脅かされている。 基本的な業界アイデンティティは日本で作られた伝統的な工芸品としての仏壇を販売することにあり、それが本来理想とする姿である以上、業界の姿は理想とは、甚だかけ離れている。 しかし、そのアイデンティティの崩れ、あるいは捩れは今始まったことではない。 前述の通り、名古屋製の仏具を京都新聞で包んで京都製品と言ってみたり、秋田製品を地元製品として販売し始めた時に本来あるべき姿と現実の姿は崩れ始めた。 断っておくが、そのことの是非を言っているのではない。 時代の流れで、生産や物流が変化するのは当然の話であり、安くて内容の優れた製品が出現すれば、市場はその製品に流れる。 アイデンティティの崩れは特に伝統のある老舗において激しい。逆に歴史の浅い小売店や新規参入業者、葬祭関係者などはアイデンティティの崩れは少ないし、場合によっては全くないこともある。国産品を販売しようと海外産を販売しようと全く痛痒を感じないし、売れる製品を良しとする販売店にはアイデンティティの崩れや捩れはない。 あなたは自社で展示している仏壇を海外製品であると積極的に説明できるだろうか? できないとすれば何故だろうか? 安く仕入れて高く販売したいからであろうか? 海外製品を扱っていると説明すれば競合店から後ろ指を指されるからだろうか? 表面的にはこの二点が大きな理由になるに違いない。 しかし、大半の仏壇店が感じるのは、漠然とした後ろめたさや、恥ずかしさではないだろうか? その後ろめたさや恥ずかしさといった気持ちの背後には「アイデンティティ」の不一致、つまり本来あるべき姿と現実の相違がある。 伝統工芸を謳う仏壇のチラシを大量に配布する仏壇店でも内容的には海外製品を大量に扱っているという事実がある。もし伝統工芸に裏付けられた製品がそのお店にとってのアイデンティティであれば、お店のアイデンティティは海外製品によって崩れる可能性がある。 仮に崩れているとすれば、それを防御するのが、産地を隠して販売する、つまり擬似行為(産地表示をせずに自産地製品として販売する)による自己正当化だ。それをしなければ、アイデンティティそのものが危機にさらされると、大半の仏壇店は無意識に感じてきたに違いない。 国産の方が海外製品よりも優れているということが、これまで業界のアイデンティティを支えてきた。現在でも品質に関しては国産品が圧倒的に優れているのだが、量的に海外製品が市場の六割を占めるようになった今日、仏壇店はアイデンティティの防御と現実への対応の中でとまどっている。 中国製品などアジア製品が大量に日本に輸入されることによって、国内の宗教用具産業は危機にさらされている。その危機は国内産業の衰退や後継者が育たないといった現象であると同時に、業界をこれまで支えてきたアイデンティティの危機でもある。 これだけ優秀で安い製品が大量に輸入される今日、我々の業界のアイデンティティはどこに求めればよいのだろうか? 産地表示実施も実はアイデンティティの防御に他ならない。業界最大手のはせがわが、海外戦略から撤退し本業回帰をスローガンにし、銀座店や渋谷店で伝統工芸を売り物にした商品を揃え始めたのはアイデンティティへの回帰とも言える。 その一方、産地表示の内容と説得力が弱々しくすっきりとしないと感じるのは私だけだろうか。 100%国産品であれば当然国産品なのだが、現状を言えば、そうした仏壇はまことに少ない。彫刻や屋根が海外産でも最終商品は国産というのは詭弁だ。彫刻や屋根の大半が海外製品だから、という論調は業界の事情をお客様に押しつけているだけで、誤解を生む可能性も否定できない。そうした製品は国産ではなく「一部海外部品を使い、日本で組み立てられた製品」というべきだ。家電製品では「組立日本」という表示が現実にある。もしくは「メイド バイ まほろば仏壇」の方が製造者が分かるという点で(製造者責任)よほどすっきりする。 (02/8) 仏壇評論家・住田孝太郎 |
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