原理主義とお仏壇

 イスラム教原理主義と聞くと、どのような印象があるだろうか?NY世界貿易センタービルでの同時多発テロや、イスラエルで頻発する自爆テロの事を思えば、過激、戦闘的、死をも厭わないというイメージだろうか。では、原理主義とはどのような教えを指すのか?
 ところで、あなたの家には、こざっぱりとした服を着て、ニコニコ笑いながら、聖書のお話をしにくる二人連れのご婦人が来たことはないだろうか?彼女たちは必ず小冊子を持ち、そこには「神の復活」と「悔い改めよ」という事が書いてある。
 彼女たちは(彼等の場合もあるが)、「ものみの塔」の信者だ。「ものみの塔」は英語で「WatchTower」、すなわち塔から物を見ることなのだが、エホバの証人とも呼ばれるこの「ものみの塔」はキリスト教原理主義者の一派だ。原理主義であるが故に、聖書に書かれていることは全て正しく、であるから聖母マリアは純潔のままイエスを身籠もり、輸血は絶対にいけないし、地球は神が作られたということを百%信じる。猿から人間が進化したなんて、彼等にしてみればとんでもない理論だ。
 原理主義というと、テロリズムに走るイスラム教徒のことばかりが取り上げられるが、実のところ原理主義はどの宗教も抱えている。原理主義に走るイスラムは非寛容の印象があるが、イスラムは北アフリカ、中東、そしてアジアに広がり、その土地ごとに浸透している。キリスト教が行った植民地支配や奴隷支配も目立って行わなかったことを思えば、キリスト教徒よりもよほど人間的な印象もある。
 宗教的な原理主義者に共通していることは、教祖や宗祖の教えに戻ろうとすることだ。そして時として敵対者を厳しく批判し、非寛容になり、攻撃的にさえなる。
 こうした動きは神道の世界でも江戸時代に起こった。日本の伝統宗教は仏教ではなく神道であり、外来の文化を激しく非難排斥。それは本来あるべき日本の姿に戻ろうという運動であり、尊皇攘夷という形で明治維新につながり、廃仏毀釈の嵐の中で、多くの寺院や仏像が壊された。
 宗祖の教えに戻ろう、という動きは仏教にも常にある。例えば浄土真宗がここにきて、位牌祭祀に厳しい態度をとり、葬儀においてわざわざ清め塩を廃止するのも、大枠で言えば原理運動だ。
 イスラム教原理主義者がテロに走ることは許されることではないが、原理主義は仏壇や神棚を扱う我々を常に取り巻く環境でもある。現実との接点をもち、仏教や神道の教えと伝統を次世代に継承してゆきたいものだ。 (03/9)

仏壇評論家・住田孝太郎

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