| 信頼される寺院とは 「浜屋二百周年謝恩会・無着成恭師の講演より」 浜屋(姫路)の創業二百周年謝恩会で無着成恭師が記念講演会を行ったが、非常に感銘深い講演であった。 「タイやミャンマーのお坊さんはタクシーに乗ってもお金を払いません。なぜお金を払わないのかと言えば、お金を持っていないからです。タクシーの運転手さんは布施としてお坊さんをただで乗せるんですね。ところで、日本のお坊さんは、信頼されているでしょうか?タイやミャンマーのお坊さんは信頼もされ、また尊敬もされています。なぜかというと、お金を持ってないからなんですね。ミャンマーに学校を建てようと思えば、お坊さんにお金を預けるのがいいんです。お坊さんはちゃんと学校を建てることにお金を使うから安心なんですね」 謝恩会には姫路亀山御坊本徳寺、そして天台宗の名刹書写山圓教寺といった大寺の住持も列席しており、そうした人々を前にしての講演である。 寺院に対しての一種の嫌悪感は結局のところ、金銭的なところから発生している。檀家制度の中で食うに困らぬ僧侶は、一種の公務員であり、働かず給料を貰い莫大な退職金を貰う公務員はやはり庶民の怨嗟の対象となる。 檀家制度は江戸幕府が作り上げた制度であるが、前時代までの門徒による一揆(一向一揆)や法華一揆のことを思えば、寺と僧侶は「檀家制度」という枠組みをはめた方がよいと当時の人々は思ったのかもしれない。寺と僧侶が庶民を監視するのが教科書的な檀家制度であるが、実際には庶民が寺と僧侶を封じこめる制度が檀家制度であったのかもしれない。 いずれにしても日本の寺と僧侶の多くは、平均以上に金を持っている(ように見える)。無着成恭師は「その金で生計を立てているのが仏壇屋」と、喉元まで出かかっていたのかもしれないが、どうだろう。 「聖徳太子は仏教に帰依したでしょう? 天皇さんは、今と違ってたくさんの妾さんも持っていましたから、子供がたくさんできる。その子供の中でも運がいい者は長じて出家するわけです。神社の神主になった人って聞かないでしょう?皆僧侶になるわけで、京都には門跡寺院がたくさんありますが、全部天皇家と親戚です」 なるほどな、と思った。言われてみればなるほどその通りであるが、天皇家と仏教の縁は全くもって深い。天皇の座を退き「法皇」「上皇」と名乗った後白河法皇や後鳥羽上皇の姿は出家の姿だ。 奈良時代になると仏教は国を護る宗教として確立される。そこで期待されたのは呪術的なものだろうが、聖武天皇は東大寺建立にあたり伊勢神宮に勅使を遣わし「ご先祖様すいません。大きな仏像を作りますが、気を悪くしないで下さい。決して先祖をないがしろにするわけではありません」とお参りをさせたという。 聖武天皇をしてきっと仏教の方が、自分の先祖伝来の宗教よりも光り輝いて見えたに違いない。 翻ってみて、それほどの魅力が現在の仏教界にあるかどうかが問われているのだろうが、魅力的な僧侶が数多くいることも確かだ。 (04/11) 仏壇評論家・住田孝太郎 |
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