聖(ひじり)としての仏壇店

 仏壇店は現代社会において庶民の仏教・日々の仏教を実質的に支えている。仏壇店の販売活動とアフターフォローがもし無ければ、現代日本の仏教の様相は全く違ったものになっていたかもしれない。
 お盆やお彼岸のシーズンに仏壇店が大量に配布する仏壇チラシがなければ、多くの人はお盆やお彼岸のことを意識することなく過ごすかもしれない。
 仏教が日本で広まるのは例えば平安時代であれば最澄・空海、鎌倉時代であれば法然・親鸞・栄西・道元・日蓮という宗祖が出現したからこそ、ということになる。教科書的に言えば確かにそうであるし、宗祖の存在なくして現代まで続く仏教界はない。しかし、教科書に描かれている仏教史だけで、仏教の広がりを説明することはできない。庶民と仏教の接点を作り出してきたのは「聖」であった。
「聖」は「ひじり」と呼ぶ。聖という文字から我々は「尊い」という印象を持つが、かつて「聖」とは、人々の間を巡りながら仏教に即した因果応報を語り、葬式を営み、呪術で病気を治すことさえ行った人々のことを言う。現代人から彼らを見れば「遊行する僧」あるいは「乞食坊主」と言えばイメージが湧きやすいかもしれない。
 僧侶は古くは国家公務員としての地位にあった。奈良時代であれば寺院は基本的に官立であり、その寺院に属している僧侶こそが正式な僧侶であった。僧侶になるためには戒壇で戒律を受けることが必要になるが、戒壇も「国立戒壇」であり、例えば最澄はそこで戒律を受け僧侶となり、国家公務員の資格で遣唐使に加わり、天台の教えを日本に伝えることになる。最澄は仏教者として超エリートであった。その最澄は比叡山に戒壇を開くが、そこで戒律を受けることが出来る者もまたエリート僧侶である。
 こうした僧侶に対して戒律を受けず、勝手に僧となった者を「私度僧(しどそう)」と呼ぶ。奈良時代であれば東大寺造営のための資金作りを行った行基は、集団化した私度僧の中心にあって勧進、すなわち募金活動を行った。
 私度僧は正式な僧侶ではないが、彼らの因果応報の仏教話などは、庶民を魅了したはずだ。彼らは高度な仏教の理論を説いたりはしない。前世の因果が現世に現れる物語や、観音や地蔵の霊験譚が庶民に向かって語られた。庶民はミラクルストーリーを好む。そうした物語は「日本霊異記」などを通して現代に伝えられる。私度僧は正式な僧侶でないからこそ、庶民の中に深く入ってゆくことができたし、庶民の要望に深く応える仏教を語ることができた。
 仏壇店はまさに現代の私度僧と言える。我々は正式な僧侶ではないが(僧籍を持つ仏壇店もあるが)、日々仏教を語り、荘厳の中に隠された仏教や人生の意味をお客様に語ることを仕事としている。
 お寺が僧侶がもっと仏の教えを語るべきだと指摘する業界人は多いが、我々こそもっと仏の教えをお客様の視線に合わせて説くべきだ。たまには、観音や地蔵にまつわる「世にも不思議な物語」をお客様に伝えてみるのもよい。
 そこに仏壇店の存在意味がある。 (04/12)

仏壇評論家・住田孝太郎

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