| 宗教離れについて(2005年5月) お経は難しいから現代語に直した方がいい、という言葉を聞くことがある。その言葉を聞く度に「この人は本当にお経を読んだことがあるのだろうか」と思う。言うまでもなく大半の経典はインドから中国大陸へと伝えられ、そこで漢字に翻訳された。現在の我々が手にするお経は漢訳経典、すなわち漢字の経典だ。しかし、例えば「色即是空 空即是色」をどのように現代語訳するというのだろうか。力のある詩人が、思い切った意訳をする必要があるだろう。 四月二十六日の産経新聞に「英国の教会離れ、世俗を覆う世俗文化」という記事が掲載された。「英国人の『無宗教ぶり』はますます際立っていくようだ」と記者は綴っているが、少し記事の内容を紹介したい。 「昨年末、世論調査機関が約二千人を対象に行った調査によると、一九六八年には英国民の七十七%が神を信じていたが、いまでは四十四%に減少。逆に神を信じない人は十一%から三十五%に増え、宗教観が大きく変わったことを浮き彫りにした」「教会に行く英国民はいまや八%以下に落ち込み、信仰の拠点である教会を『無用のもの』と思っている人がほとんど」「六十年代、英国では難解な宗教をわかりやすくするため、聖書は平易な英語に訳し直されたが、逆に人々を引きつけていた神秘性がなくなった」「教会に通う習慣がなくなったことで若者を中心に結婚式や葬式をどうしたらいいのかわからない人も増えている」 先月号ではヨハネパウロ二世の帰天のことについて書いたが、新法王に選ばれたベネディクト十六世はキリスト教離れを危惧すると表明し、キリスト教離れに歯止めをかけることを大きな仕事として位置づけた。 イギリスはローマ・バチカンを本山とするカトリックではなく、イギリス国教会が主な宗派となるが(かつてはイギリスもカトリックであったが、中世に離婚問題をきっかけとして独自の教会を創設した)、ヨーロッパ全土をキリスト教離れが覆っている。 二〇〇三年の調査によればヨーロッパで教会は重要だと答えたのは二十一%。それに対してアメリカでは六十%。アメリカがヨーロッパに比較するといかに宗教国家であるかということがわかる。 ヨーロッパEUではEU憲法の制定を巡って揺れている。宗教的にいえば、EU憲法の中ではユダヤ教やイスラム教などの宗教の多様性が謳われるようであり、ヨーロッパにおけるキリスト教の地位はさらに低下する可能性がある。 さて、新しくローマ法王になったベネディクト十六世であるが、このベネディクトとは聖ベネディクト(四八〇頃〜五四三頃)のこと。現代に見ることのできるカトリック修道院を初めて創設した聖人であり「貞潔・清貧・服従」「祈り・働け」をモットーとした修道院の規則を作った。 ヨーロッパには数々の修道院会派があるが、次のような小話がある。 「ある晩、修養室で、ベネディクト会士、ドミニコ会士、フランシスコ会士、イエズス会士の四人が、一緒に日課祈祷書で祈っていたとき、突然電灯が消えた。ベネディクト会士は何事も起こっていないかのように祈り続けていた。彼は日課祈祷書を暗記していたからである。ドミニコ会士は、精神と人間の敬虔さに対する光の意味について、深遠な考察を試みていた。フランシスコ会士はうたた寝をしていた。…っとそのとき、電灯が再びともった。イエズス会士が出ていってヒューズを取り替えたからである」 最後のイエズス会とはフランシスコ・ザビエルの属した修道会であり、積極的な布教活動を世界に向けて展開した。上智大学はイエズス会が創設した学校であり、日本とは縁が深い。行動的なイエズス会の修道士がヒューズを替えるという話はおもしろい。 ベネディクト派は真面目な印象だが、ベネディクト十六世も保守的な態度の法王だ。この保守的なスタイルがどれだけ人々を惹きつけるのかが注目される。 ■ さて、冒頭の話に戻るが、経典を現代語訳にしてもつまらない。一方で宗祖の言葉は現代語訳にしても十分にその話の真意が伝わる。 お経を聞くのは葬式や法事の時だけという人も多いだろうが、その人たちにとって長いお経は苦痛だろう。そのことを思えば、僧侶は宗祖や高僧の言葉を、自分の言葉に置き換えながら生死を語るべきだろう。 中途半端なお経の現代語訳は、むしろ仏教離れを加速させる可能性がある。同様のことはイギリス国教会でも起こったことだ。しかし、葬儀・法要の時には、これから読まれる経典の名前と簡単な内容ぐらいは紹介して欲しいと思う。 仏壇評論家・住田孝太郎 |
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