国境を越えて

 来年の九月、中国福建省厦門市で仏具の展示会が開催されるので日本の関係者にも呼びかけて欲しいというお話を頂いた。
 展示会そのものは中国国内の仏教寺院向け製品や東南アジアの華僑世界向けのものとなることが予想されるが、日本の伝統仏教美を発表できる絶好の機会だ。
 日本の仏壇は日本でしか流通しないから海外で作らないで欲しいという声をよく聞く。それがこれまでの常識であった。しかしそんな常識を一体だれが作り出したのだろうか。日本の仏壇、あるいは仏具は日本でしか流通しないほどローカルなもの、つまり地域限定のものなのだろうか。なんとかアジアというマーケットの中で流通させることはできないものなのだろうか。
 先祖供養の文化が東アジア共通のものであるということは意外と知られていない。先祖の霊が現世との関わりを持ち続けるというスタンスは日本独自のものではなく、中国や朝鮮半島と共通のものだ。それは元来仏教の文化ではなく、儒教の文化だ。
 大阪大学名誉教授の加地伸行氏は『家族の思想・儒教的死生観の果実』の中で次のように述べている。
「儒教では、死後も魂はこの世に存在し、子孫・一族が祭祀してくれればいつでも遺族のところに帰ってくることができるとし、肉体は子孫・一族が続くことによって、この世に生き残ることができるとした。このように魂・魄ともにこの世に存在し続け得るとして、死および死後の説明をなしとげ、東北アジア人の死の恐怖や不安を取り除いたのである。だからこそ、儒教は東北アジア人に支持されてきた」 
 魂魄と書いて「こんぱく」と読むのだが、加地氏は魂を精神を支配するもの、魄を肉体を支配するものと説明し、死後魂は天に昇り、魄は地中に留まるとしている。つまり魂魄は死後分離するわけで、それは死後統合させるのが先祖供養であり、シャーマニズムの行いであるとしている。
 シャーマニズムとは簡単に言えば魂降し(たまおろし)のことであり、恐山のいたこは魂降しを生業としているわけだが、我々は仏壇や墓の前で手を合わせることで、先祖の霊を呼び出し(それは即ち魂魄を呼び出し再統一させることに他ならないが)、あたかもシャーマンのように振る舞う。
 東アジアは共通の文化基盤を持ちながらも、風土や歴史の中で、それぞれの国がそれぞれの供養文化を発達させてきたが、もっとも発達したのが日本であり、発達の象徴が在家用の仏壇であろう。
 来秋九月の展示会はそうした東アジアの宗教背景、つまり先祖供養を持ちながら開催されるのだが、例えば総金箔や総金粉の位牌は非常に分かりやすい供養具の表現であると言える。
 中華系の寺院や供養具には実は一定のパターンがあるのだが、日本の伝統文化を背景とした宗教用具が例えばシンガポールや香港の寺院や家庭でお祀りされるという夢もできれば見てみたい。
 話は変わるが八木研(大阪)はこの十二月にニューヨークに現代仏壇ギャラリーをオープンさせ、すでにリンや現代仏壇を販売した。同社のキャッチフレーズは「KUYO IS LOVE」、すなわち「供養は愛(仏教的には慈悲と言いたいところだが)」。リンの音は「ピースフルサウンド」として評価されているという。
 国境を越えて供養の文化を輸出することで、仏壇仏具の違った側面も見えてくるようになる。

仏壇評論家・住田孝太郎

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(2005年12月)