| 宗教象徴学から見た仏壇
映画ダヴィンチ・コードをご覧になられただろうか。あるいは原作をお読みになられただろうか。このダヴィンチ・コードの主人公は米国ハーバード大学の教授で、専門は宗教象徴学だ。宗教の様々な表象(シンボル)に隠された意味を解釈するというのが宗教象徴学であり、我々業界にとっても非常に興味深いテーマだ。
宗教象徴学に立って仏壇を見れば、仏壇は母性原理に基づいた装置であると解釈できる。何故なら仏壇は洞窟に似た構造を持つからだ。洞窟は宗教象徴学では女性原理に他ならない。
鎌倉にある銭洗い弁天(ぜにあらいべんてん)に宗教象徴学の専門家を連れて行けば、女性原理が詰まったこの聖地に興奮するはずだ。まず、銭洗い弁天は洞窟の中にある。奥に泉が湧いている。そして弁天は女性だ。それは命を生み出す女性器を象徴している。
ダヴィンチ・コードのテーマはマグダラのマリアが実はキリストの妻であったということにある。マグダラのマリアとキリストの間に生まれた子孫の末裔が、ダヴィンチ・コードのもう一人の主人公である女性の暗号解読官。マグダラのマリアは磔になったイエスを十字架から降ろした一人であり、聖女として称えられている。
キリストの母はマリア。カトリックの教会に行くと祭祀されている聖マリアであるが、屋外にマリアが置かれるとき、それはしばしば洞窟の中に安置され「洞窟のマリア」と呼ばれる。洞窟もマリアも母性の象徴だ。
仏壇がもし洞窟という同様の意味を持つ女性原理の装置であると解釈すれば、そこに置かれる「水」はこれまでと違った意味を持ってくる。それは泉となる。湧き出る泉だ。水は命の根元であり、そこから生まれて来るのが米。豊葦原の瑞穂の国と言えば日本のことだが、古く日本には湿地帯が数多く点在していた。現在で言うところの一級河川の河口部はことごとく湿地帯であったに違いない。そこはそのまま湿田となり、稲の収穫を我々の遠い祖先にもたらした。
稲作が始まると同時に定住が始まり、土地の継承が始まり、祖先の概念が生まれたはずだ。「この土地は曾祖父が開墾した」という気持ちが、祖先観が生まれる土壌となる。つまり、水と稲は日本人の祖先観を生み出した根源であると言えるし、水と稲こそは遠い祖先への思い出でもある。
女性原理としての仏壇は「全てを生み出し、そこに全てが帰る」という機能にも象徴される。私たちは先祖から生まれ、死後は大半の人が位牌となり仏壇の中にお祀りされる。聖書には「我、母の胎より出でて、母の胎に帰れり」という一文があるが、仏壇はまさに生と死を意識させ、生と死を繋ぐ地点、すなわち母胎に他ならない。
宗教象徴学という学問自体はエリアーデ(一九〇七〜一九八六)の名前と共に知られるようになった。エリアーデはルーマニア生まれの宗教学者であり、ヨガ・シャーマニズム・錬金術などを行った。
そう言えば錬金術も象徴に満ちた学問であるが、日本語で言う錬金術はややいかがわしい印象だろうか。
仏壇評論家・住田孝太郎
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(2006年07月) |