| 本願寺と靖国問題
天皇陛下が靖国神社に参拝しなくなったのは、A級戦犯が靖国神社に祭祀されるようになり、天皇陛下がそのことに「不快」を感じたからだという元侍従長のメモが発表された。八月十五日に靖国参拝するかどうかが注目される小泉首相はこれまでの「心の問題」という姿勢を崩さず、秋の総裁選に出馬する阿部・麻生両氏は「ノーコメント」。皆さんはどのような感想を持たれただろうか。それにしても、八月十五日の終戦記念日前、そして秋の総裁選という政局の中で登場したメモのタイミングに驚かされる。
靖国神社のことを考えるとき、真っ先に頭に浮かぶのは「靖国に祀られている門徒さんに対して本願寺教団はどのような解釈をしているのだろうか」という興味だ。
周知の通り、本願寺教団は「位牌を祀るな」ということを主張する。それは真宗の教義から言えば当然のことであり、真宗の教義が何かということを端的に表現している。本願寺教団は例えば神棚や神札を家庭内に置くことに対しても否定的だ。あくまでも阿弥陀如来への信仰が大切であり、それ以外の宗教的なことは夾雑物として排除される。それはお盆や正月行事に対して否定的であった蓮如の手紙の中にも端的に現れている。
であれば靖国神社に対して本願寺教団は何故声を大きくして抗議しないのだろうか。例えばテレビや全国紙などのマスコミを呼んで記者会見を開けばマスコミは飛びつくはずだ。西本願寺は実際に二〇〇五年十月に浄土真宗本願寺派総長不二川公勝師の名前で「首相の靖国神社参拝に対する抗議」を発表している。
この抗議文は門徒さんが参拝することを否定するものではないが、抗議文の中では「いかなる宗教への信仰も国によって強制されない社会を実現する」と書かれており、教団側としては門徒さんが靖国に祭祀されていること自体への抗議とも受け取ることができる内容となっている。
一方で門徒さんの中には靖国神社にお参りする人もたくさんいるだろう。お参りする人にとってそれは「悪いこと」ではなく「当然のこと」「良い行い」であるはずだ。本願寺教団の中には靖国神社問題を訴訟に持ち込んでいる例もあるが、門徒さんの中には「なぜ靖国参拝がいけないのか」と訝る人もいることだろう。
話はそれるが、例えば門徒さんが九割を占める地域の自治会が、氏神様の社殿の改修のために寄付を募るとする。厳密に言えば、門徒さんが神社に対して寄進をすることは教義に反することだろう。しかし、門徒さんの中では本願寺への気持ちと氏神様への気持ちは両立併存し、対立するものではない。ある時は門徒さんとして活動し、ある時には氏子として活動する。
神と仏が対立せず共存するというのが日本の本来の宗教土壌だ。現在は「教団としての教義」が最優先され、教団の檀信徒・門徒の囲い込みが行われているが、神棚と仏壇が併存する宗教土壌が業界にとっては望ましい。
靖国神社は中国韓国の反対もあり、政治問題化しているが、例えば氏神様は宗教なのだろうか。また、辻のお地蔵様は宗教だろうか。日本人の多くは、西欧で言うところの宗教というはっきりとした輪郭線を持たない。
靖国神社、そして各地の護国神社は明治以降の産物であり、明治以降輸入された西欧の宗教の輪郭を強く持つことが、今日まで問題を引きずっている一因だろう。
仏壇や神棚にとって宗教の枠組みがルーズな方がよい、と感じるのは自分だけであろうか。
仏壇評論家・住田孝太郎
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(2006年08月) |