柳宗悦が見出した仏具の美(2)

 先月は柳宗悦が著した『手仕事の日本』の中に見える仏具を紹介したが、今回は『手仕事の日本』に見る柳宗悦の伝統や民芸に対しての考え方を紹介したい。
「伝統とは長い時代を通し、吾々の祖先たちが、様々な経験によって積み重ねてきた文化の脈を指すのであります。そこには思想もあり、風習もあり、智慧もあり、技術もあり、言語もあるわけであります。それは個人のものではなく、国民全体の所持するものであります」
 柳宗悦は伝統が個人のものではなく、国民全体の所持するものであると言う。また信心ということについても触れる。
「信心は人間を真面目にさせます。このことが作る品物にも反映ってくるのだと思われます。良い品物の背後にはいつも道徳や宗教が控えているのは否むことが出来ません。このことは将来も変わりなき道理であると考えられます」
 日本の職人が作り出してきた様々な工芸品(民芸)の背後には、道徳や宗教が控えているという。この点は非常に大切だ。
 日本の職人が作り出すものには、手を抜かない、という思想が強くあった。予算の中で精一杯のものを作る、場合によっては予算を無視しても良いものを作るという、いわば生活習慣のようなものがあった。それは日本ならではの道徳観や宗教観に支えられていた。
 ところが現在、様々な仏具や仏壇が海外で作られるようになると、製品の背景にかつてあった日本の伝統的な道徳観や宗教観は全く消滅する。
 たしかに製品としては以前よりも立派かもしれない。塗りも箔も、彫刻も錺金具も立派だろう。製品も悪いということはなく、精一杯作られている。しかし、そこには道徳観や宗教観は残念ながらない。
「各地に見られた手仕事は、いずれも遠く深い伝統の上に立っているのでありますから、一度倒れると再び起き上がることはむずかしいと思われます。伝統は丁度大木のようなもので、長い年月を経て、根を張ったものでありますから、不幸にも嵐に会って倒れてしまうと、再び旧のように樹ち直るのは容易なことではありません」 
 柳宗悦の言うとおり、一度切れた伝統を再生することは難しい。伝統は毎日の繰り返しの中で生まれてくるもので、時間の断絶の中で再現することは非常に大変なことだ。その意味で伝統は生き物であるとも言える。
 作家は名前を記すが、職人は無名である。「職人の作ったものは平凡であり、美術家の作るものは非凡であると思われるからであります」と柳宗悦は言い、そのことに対して疑問を呈す。何故かと言えば、職人の作り出すものには「実用の美」「健康の美」などが備わっているからだと言う。
 伝統産業としての仏壇仏具を考える上で、参考になる一冊だ。

  

仏壇評論家・住田孝太郎

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(2006年10月)