宝くじとお仏壇

 先日、お昼に放映される「笑っていいとも」を見ていると、当選した宝くじの保管場所として仏壇・神棚が二位にランクされていた。ちなみに一位は机の引き出しで、三位は財布の中であった。それにしても当選した宝くじの保管場所が仏壇・神棚というのは興味がもたれる。当選宝くじの保管場所調査をしたのは「みずほ銀行宝くじ部」。早速、「みずほ銀行宝くじ部」に問い合わせ、資料をFAXで送ってもった。
 それにしても宝くじの当選券と仏壇・神棚に保管する理由は一体どこにあるのだろうか。
 くじ、漢字で書くと籤になるが、籤はもともと神仏の意、あるいは天の意を表すものだ。吉凶を占うこと自体が、古代より神聖な行いであり、例えば骨を焼いて吉凶を占う太占(ふとまに)という神事があるが、そこに現れる吉凶の判断は神の声だ。
 骨を焼いて吉凶を占うという神事が古代だけのおとぎ話かと言えばそうではなく、現在でも例えば東京都青梅市では毎年正月三日に行われている。そこで占われるのは豊作か凶作かと言うことで、知人の話によればその結果は有線放送で流されるそうだ。
 本能寺の変で主君織田信長を討った明智光秀は、出陣に際して愛宕大権現で三度籤を引いたという。テレビなどを見ていると、吉と出ず、そのことに対して苛つく光秀という演出がなされていたように思うが(籤の棒を折ってしまうという演出も見たような記憶がある)、光秀が引いた籤は本来どのようなものであったろうか。
 さて、日本の社寺で引く籤(おみくじ)に書かれている内容の大半は現世利益に関してのことだ。「商売」「家移り」「見合」「試験」などは現世利益そのものであり、「失せ物」という項に至っては「物を失し、それが見つかるということは、現世における幸せの一つである」ということに気付かされる。
 宝くじの起源は社寺における富くじにあるとされ、そこでの収益金は社寺造営などに当てられたという。
 この富くじは落語の題材にも随分と取り挙げられている。その代表作が「富久」。
 幇間の久造はなけなしの持ち金である一分で富くじを買う。その夜、半鐘の音で目が覚めると、火事の方向が日本橋の旦那の御店の方ということでそこに駆けつけ、火事見舞いの振舞酒をしこたま飲んで寝てしまう。するとまた半鐘の音。今度は自分の長屋の方が火事だというので駆けつけて見ると、長屋は丸焼け。
 そして富くじの抽選。なんと久造の富くじ「松の百十六番」が千両の当たりくじ。しかし富くじは火事で・・・と思っているところに近所の棟梁がやって来る。
「おめぇのところの神棚だけは持ち出しておいた」
 久造は富くじを長屋の大神宮様の神棚の中に大切にしまっておいたのだ。恐る恐る神棚の中を確かめると「あった」と久造は大喜び。
 棟梁が「千両もの大金一体どうするつもでぇ」と聞くと、久造答えて「大神宮様の御陰なので、近所へのお祓いをします」と。祓いは払い。久造の借金返し、というのがオチ。
 江戸の昔から神棚(そして仏壇)は宝くじの置き場所として使われてきた。
「サマージャンボは神棚・仏壇に置きましょう」というキャンペーンを実施してみてはどうだろうか。吉凶占いを嫌う真宗の場合、やはり宝くじも駄目だろうか。そんな場合は「これは阿弥陀くじ、の類(たぐい)でございます」と一言ご本尊様にお断りを。

仏壇評論家・住田孝太郎

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(2007年2月)