| 物性的価値は印象に残らない? 最近、バブル時代を振り返ることが流行になっている。 ひとつには東京の一部でバブルが起こっていることがある。高級外資系ホテルが続々とオープンした東京は都市としての蠱惑性を取り戻しつつある。 もうひとつにはバブル崩壊後長いトンネルの中からようやく抜けだし、その時代を経験した人たちが、バブル時代を再評価し始めていることである。 そうした中、東京プリン伊藤洋介さんが著した「バブルアゲイン」が書店に並んでいる。 「東京プリンって誰?どこかのお笑いタレント?」と言う人もいるだろうが、プリンの被り物をして歌をうたう二人組。でも、お笑いタレントとは少し違う。何故なら彼らが森永製菓宣伝部の社員だからだ。 伊藤洋介さんは慶応大学出身で、山一証券(今はなき)から森永製菓へと、という経歴の持ち主。 その伊藤さんの「バブルアゲイン」にはバブル時代の回想が散りばめられているが、その中に興味深い一節がある。 「売上があがらない商品に限って、物性的価値のみをそのまま伝えるコマーシャルを作ることを会社側から要求される場合が実に多い。ところがそんなもの作ってオンエアしたところで、企業側のマスターベーションに終わってしまうケースがほとんどである。要は、買ってみたいと思わせる以前に見ている側の記憶にも残っていない、いわばたれ流しのような状態になるわけだ」 物性的価値とは「こんなに素晴らしい品質のもの」「こんなに便利なもの」ということになるが、仏壇の広告の場合には、果たしてどうだろうか。 例えば品質表示や産地表示は物性的価値を伝えるものだ。製品によってそれは必要なものだが、そのことだけでお客様に価値を伝えることは難しい。 例えばダイヤモンドを買うとする。何億円もするダイヤモンドであれば話しは別だが、数十万円、数百万円のダイヤモンドに対しての品質表示は、販売にあたっての必要条件だが、絶対条件ではない。 仏壇の場合もおそらく同様だろう。品質表示・産地表示は必要なものだが、販売という段階で絶対的条件ではなくなる。 品質表示・産地標示が絶対的な条件となるのは、例えば食品だ。食品は例えば賞味期限という品質が絶対的条件となる。 仏壇評論家・住田孝太郎 (2007年5月) |
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