| 総理大臣や閣僚の靖国神社参拝にあなたは賛成だろうか、反対だろうか。 今年、八月十五日、靖国神社に参拝した閣僚は武市早苗大臣だけであった。小泉氏が総理大臣であった時には、靖国参拝を巡って随分と議論が起こり、中国・韓国までをも巻き込んで外交問題にまで発展したが、今年の夏は随分と静かな夏となった。 靖国神社で問題視されているのは、A級戦犯合祀ということになっている。ここ数年は、靖国神社の歴史的な背景や正当性、A級戦犯合祀についての賛否も様々なマスコミが取り上げてきた。しかし、個人的にはどこかその議論に違和感を感じることも多かった。 業界にとって靖国神社問題は、鎮魂、つまり魂祭(たままつり)をどのように理解するのか、ということにあり、業界を支える根幹にある問題でもある。 例えば、天神社・天満宮は菅原道真の霊がもたらす災いや祟りを怖れ、その魂を鎮めるために造られたことはよく知られている。 菅原道真は平安時代の貴族。中流貴族の家に生まれ、文章の才能、政治家の才能があったことから宇多天皇の信任を受け出世。ところが藤原氏などの貴族の反発を招き、自分の娘婿を皇位に付けようと図ったと誣告され(醍醐天皇の皇位を奪おうと謀ったとされた)、九州太宰府に流罪となり、その地で憤死した。 道真の死後、時の醍醐天皇の皇子は次々と病死。都には異変が続き、さらに朝議中の清涼殿に雷が落ち、多数の死傷者が出た。 その一連の異変を都人は、道真の祟りであると考えるようになる。考える、というより、道真の霊威そのものをそこに感じたに違いない。「道真の霊を鎮めなければ、さらに悪いことが起こるに違ない」と。 朝廷は道真を復位させ、さらには太政大臣の位までを追贈する。それでも恐れを感じる貴族達は、道真を祀る社殿、現在の北野神宮を建てる。 御霊信仰、すなわち非業の死を遂げた人の霊を鎮める宗教的な習慣は道真の天神社をはじめ平安時代に明確なものとして日本の宗教の大きな流れを作り出してきた。 靖国神社参拝に関しては「追悼」「平和の祈り」ということが言われるが、非業の死を遂げた人々の霊に対しての畏れは全く語られない。それが冒頭で書いた「違和感」だ。 御霊信仰の伝統から言えば、A級戦犯祭祀は「祀らないと祟る」「再び悪いことが起こる」ということに他ならない。「祀らなければ、霊が蠢き日中・日韓の関係を悪くする」ということだ。 祀ることにより日本が再度戦争への道を進むのではなく、祀らないことにより戦争の道を進む可能性があるということへの理解と説明が全く欠如している。 中国・韓国という隣国への配慮も大切だろうが、御霊信仰という歴史を是非堂々と説明してもらいたい。それができない「宗教抜き」の日本、つまり宗教観無き日本こそが、現代日本の弱さそのものである。 宗教に対しての不理解は明らかに戦後日本の負の遺産だ。 仏壇評論家・住田孝太郎 (2007年8月) |
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